謝ることのできない日本人
グラス割っちゃった…→飲食店「正直に言って」 「隠そうとする客」に店主が呼びかけた意図
飲食店で開かれたパーティーが終わり、その片づけをしていたときにそれは起こりました。お客さんの使ったグラスが割れた状態になっており、それを洗っている最中に手をざっくりと切ってしまったというのです。グラスを割ってしまったという一言があれば、このようなできごとは起こらなかったはずです。店主は謝罪を求めたり、弁償してもらうという意図ではなく、グラスなどを割ってしまった場合、安全のためにも一言声をかけてほしいとSNSで呼びかけたのだそうです。この言葉に対してイイネが殺到したようです。
グラスなどを割ってしまったとき
グラスやお皿を自分の不注意で割ってしまうことはだれにでもあることだと思います。気を付けていたとしても起こりうることなのではないでしょうか。問題は割ってしまったあとのこと。一般的に他人に迷惑をかけてしまった場合はあやまるということは常識でしょう。
小学生どころか幼稚園生や保育園児でさえも学んでいることなのです。
頭で考えることなく、悪いと感じた場合は素直に謝罪の言葉が出るのが当然のことです。その謝罪の言葉が出てこないのはなぜなのでしょうか。
まず、自分の過ちよりも、自分をどう守るか、人にどのように見られてしまうのかというところへ意識がいってしまうのかもしれません。ただ、本当に頭を使って考えると、グラスや皿が割れた状態では、誰かが怪我をする可能性まで予測はできるはずです。あまり考えたくないのですが、誰かが怪我をしたとしても、自分の責任ではないという状況であれば問題はないという姿勢の人がいる可能性があります。
または、自分の対応次第で、その後何が起こりうるのかを予測できない、つまり考える力が欠如してしまっているのかもしれません。
自分や自分の家族が同じように、誰かが黙っているせいで怪我をするなんてことは許せないはずです。ところが、自分は他人に対してそのような行動をとってしまう。これは恥ずかしい限りです。子どもでさえわかることができない大人が増えているということなのでしょう。
相手を思いやる気持ちの一つ
自分が使ったグラスがかけてしまった。これを洗ったり使用したりすることで、まず間違いなくけが人がでる。そもそも自分のために出してくれたグラスを不注意によって割ってしまったとき。これはまず、申し訳ないという思いとともに、それによって傷つけられてしまう何もしていない人を生み出してしまう可能性を予測できなければなりません。
行列にきちんと並ぶことのできる日本人。海外から見た日本人は礼儀正しく、思いやりがある姿として映るようです。
日本の社会環境や人口構成などが大きく変化する中で、日本人らしさ、日本的美意識などまで変化させることはありません。問題が多く積みあがっていく日本の未来。心の美しさが表れる行動を意識することなくできてはじめて、日本の未来は永続できるのだと感じます。
今、失ってはならないものをよく考え、一人一人が日本人として心の美しさを維持できる世の中に向かいましょう。