我が子の就活、オヤカクしますか 望む仕事と親の思い

親への依存心、自分自身の責任の取り方は?

我が子の就活、オヤカクしますか 望む仕事と親の思い

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190714-00000006-nikkeisty-bus_all

大学生が新卒として就職活動を行う際、オヤカクをする流れがあるようです。オヤカクなんて言葉を知らなかった私は、その意味を聞いて愕然としてしまいました。就職前に、就職しようとしている企業などに対し、そこへ入社していいのかどうかなどを親に確認するというのです。このオヤカクの始まりは5年ほど前とされます。新卒者の就職が有利な売り手市場の状況で、当時はさまざまな企業を選べるという時代のはじまり。

学生としては大手企業の安定した就職を選ぶか、一発大成功を狙うベンチャー企業を選ぶかという、自身の夢や目標に沿った選択ができる時代となったのです。

あまりにも選ぶ選択肢が多く得られてしまい、自分自身で決めることができなくなってしまった新卒の学生たちはどうのように自分の就職先を決定すればいいのかという悩みの解決策としてオヤカクをはじめたというのです。

時代の違いによる意見の相違

高度経済成長世代、新人類世代など、新入社員にはそれぞれの時代なりの世代間ギャップが話題になりました。5年ほど前に大学を卒業し、就職先を選ぶ学生とその親では当然時代間ギャップは存在するでしょう。

就職先を探す学生たちにとって、あまりにも選択肢の多い売り手市場。自分の夢や目標、やりたいことがはっきりしている場合を除くと、その選択にも迷いが生じたことでしょう。そして、その迷いへの決断の一つとしてオヤカクという流れが生まれてきたわけです。

ただし、親の世代は現在の社会環境と異なります。終身雇用や年功序列という社会的なながれが会社において通用していた時代を生き抜いてきています。親世代は現在の社会環境を知り尽くしている人を除くと、今までの自分の生き方を参考にしたオヤカクへの返答をしてしまうはずです。

日本における社会環境の変化を知らないまま、今まで通りの常識をもとに子どもへオヤカクの返答をしてしまう危険性を感じます。

オヤカクをする学生の意識

自分自身ではもう決められない。自分が何をしたいのか、どこに責任をもちたいのかなどという発想ではなく、目先のあまりにも多い選択肢の中で、自分の未来をオヤカクにまかせてしまうという姿勢が見え隠れします。

どのようなときでも自分で決断しなければならないときがくるはずです。人の意見に自分の決定をまかせるということがどういうことなのか。

自分自身の決定には、自分自身の責任のとりかたがあります。自分で決めたことだからこそ、責任をもってその決定を遂行するエネルギーが生まれるはずです。もし、うまくいかないことがあったとしても、そこをどう乗り越えるかを自己責任のもとで決定し、対策を考え、行動にうつすことができます。行動した後さらなる検証をもって、さらに前に進むことができます。

自分の決定ではなく、他者の意見を中心にした場合、そこには自身の悩んだ後の決定がなくなる可能性もあります。そのとき、問題が起こった時、人は何かのせいにしてしまう可能性もあります。

オヤカクを当然とした生き方は、就職先の決定はもちろんのこと結婚相手、夫婦生活、子育て・・・。いつしか自分より先にいなくなる存在である人のせいにして、自分の無責任な怒りをどこに向けるのか。

親の意見を意見として取り入れることはいいとしても、その意見を自分自身の決定として安易にとりいれることで、自身の決定と責任をしっかりととらえつつ未来を作り上げるという生き方を失っているということに気づくこともできなくなっているのかもしれません。

未来の日本、それは自分自身がつくるものであり、誰のせいでもありません。現状への不満、未来への心配などを平気で口にする日本人が増えた時、それこそ日本の崩壊可能性がたかまっているということに気づくときなのではないでしょうか。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする