沖縄県民が日常生活の中で「沖縄戦」を感じるもの…不発弾、遺骨、所有者不明土地 戦後処理まだ終わらず

不発弾と遺骨の上で生きるということ

沖縄県民が日常生活の中で「沖縄戦」を感じるもの…不発弾、遺骨、所有者不明土地 戦後処理まだ終わらず

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190623-00000008-ryu-oki

沖縄県は太平洋戦争で唯一の地上戦となった土地。民間人を多く巻き込みその被害者も多数出た土地でもあります。その沖縄の現状はどのようなものなのでしょうか。1945年に終戦を迎え、現在では戦争の爪痕が目に見えるような形では残っていません。ところが、建築現場などにおいては、今なお当時の不発弾が発見され、その撤去作業などが行われている事実もあります。そのような状況の中、不発弾処理などが意味することを考えてみる必要があると感じます。

2000トンもの不発弾が現在もなお残る

太平洋戦争における地上戦の舞台となった沖縄では、日本軍と米軍の熾烈な戦いがいたるところで行われました。さまざまな武器が投入されましたが、飛行機による空爆や海に待機する戦艦からの艦砲射撃によって命を落とした軍関係者や民間人も多数存在します。艦砲射撃などで発射された砲弾が目的地に到着したものの、爆発にいたらずに不発弾として地中に残っているものがあります。

現在も建築現場などで地中を掘り起こして発見され、自衛隊により撤去作業などが行われます。その際はその地域一体の人々へ避難指示が出て、さらに交通規制が行われます。

この発弾撤去のおいては、かつて沖縄県糸満市の水道工事現場で、重機で作業中に地中に埋もれていた250キログラムの不発弾に触れ、爆発したという事故も発生しています。

その不発弾が沖縄県の資産で2000トンもの量で地中に埋まっている可能性があるというのです。当時、使用された砲弾などと、実際に爆発した砲弾、不発弾として処理された砲弾などによる計算ということになるのでしょう。

それにしてもいまだに、2000トンもの不発弾が眠る土地というのも珍しいのかもしれません。沖縄県民はそのような中で普通に現代が平和であるという感覚で生きているのです。

3000体もの遺骨が眠る島

太平洋戦争における負の遺産として、不発弾もありますが、いまだに3000体もの遺骨が眠っているともされます。糸満市の摩文仁が丘にある平和の礎には戦没者の名前がずらっと刻銘されています。あまりの多さに絶句してしまうレベルなのですが、そこに乗っていない戦没者の遺骨が、今なお沖縄の地中深く眠っているというのです。

戦後の平和の下で眠っているもの

不発弾、戦没者の遺骨などが今なお沖縄のどこかに眠っている。この事実は戦争が終結したとはいえない状況なのではないかと思います。戦争によって失われたものが多くある中で、いまだに解決していない問題が山積しているというのが現状なのでしょう。静かに眠る戦没者の御霊は、現代の状況に何を思うのでしょうか。

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