サウジ、聖都メッカで「フーシ派」ミサイル迎撃

神を守るミサイル?なぜ、戦う?

サウジ、聖都メッカで「フーシ派」ミサイル迎撃

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190521-00000062-reut-asia

イスラム教の聖地であるメッカを守るために、そこをターゲットとするミサイルを迎撃したというニュースがありました。宗教上の重要地点を攻撃するミサイルとそれを打ち落とすためのミサイル、心のよりどころであるはずの宗教がからんでいるようで、そこには歴史的な部分に起因するともいえるかもしれません。神はこのような人間同士の争いをどのように見ているのでしょうか?

なぜ争いが起こるのか?

人間は古い時代から大小さまざまな争いをおこしてきました。それは小さな口喧嘩レベルから、集団同士の武力による争い、はては国同士、国と国が結びついた同盟国と同盟国の争いなど、その規模はいろいろあります。

なぜ、争いが起こるのでしょうか。その争いには自身にとっての利益や不利益、プライドとプライドなどさまざまな理由があるでしょう。中には宗教上の考え方の違いから対立してしまうという奥が深い理由もあります。

自分や自分が所属する集団における心のよりどころとなる神が冒涜される可能性が出てくると、それを全力で防ぐ行動につながるということなのでしょうか。

争いの先にあるもの

様々な理由で起こる争い、その争いの先にあるものは何でしょうか。争いには勝ちや負け、またはそこを終着点とする目的があります。その目的を達成するために何年、何十年、歴史的な要素を背景とする場合は何百年とその争いが続くものもあるでしょう。

その争いには多くの犠牲がでてしまいます。争いの結果、傷つく者や命を落とす者、その家族の悲しみ、生活環境の破壊など、悲しむべき犠牲が数知れないほど存在しているはずです。

その犠牲を払ってでも避けられない争い。その先にある得られるものとはいったいどのようなものなのでしょうか?

争いの結果、得られるもの

プライドを維持する、自身の利益を守る、心のよりどころとなるものを守るなど、さまざまなものを得るために争いは起こるのではないでしょうか。そこには自身にとってゆずることのできない何かが存在しているはずです。

多くの場合は、他者になにかを奪われることを防ぐための争いなのかもしれません。

奪われることを防ぐために、多くの悲しみを背負う。その悲しみがあるとしても争わなければならないという現状が存在しているのです。

世界のどこかで

争いが起こるたびに、家族を失って悲しみに暮れる子どもたちが増えていきます。日本において、子どもたちが普通の平和な生活を営んでいる中、世界のどこかで悲しみに暮れ、生きるために涙を流すこともできずに辛い日々を送る存在を忘れてはならないと感じます。

そのような状況を作り出してしまう争い、世界中から争いがなくなることを祈りたいと思います。神は宗教がからむ人間同士の争いをどのように感じるのでしょうか。

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