保育所園児や家族がO157感染、5歳女児が死亡

自己防衛の教育が必要な日本の現状

保育所園児や家族がO157感染、5歳女児が死亡

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190507-00000014-kyt-l26

わずか5年の命、大切な存在が失われたことにご冥福をお祈り申し上げます。原因はさまざまだですが日本国内でどれほど多くの命が失われているのか、しかも、なんの罪も持たない子どもたちが犠牲になることに心が痛みます。交通事故にまきこまれてしまう子どもたち、病原体の影響を受けてしまう子どもたち。O157という目に見えない感染症で失われた尊い命によって考えなけれえばならないことがあると思います。

「赤信号は止まれ」、これまでの常識でいいの?

保育園や幼稚園で、園外での集団散歩時、親と一緒にお買い物などで信号機についての教育が行われています。これはとても大切なことです。日々の生活の中で交通ルールを学ばせる重要な機会だと思います。また、食事の前にしっかりと手を洗うことや外出後のうがい手洗いを行うことで、習慣化させることもやはり大切なことです。

ところが、ルールを守ることをしっかり行っていてもつらい状況に陥ってしまう子どもたちが数多くいるのではないでしょうか。

「赤信号は止まれ」ということを守っていても大切な命を守れないという現状を感じてしまいます。その原因は誰かの過失のせいかもしれません。もし、誰かの過失だとしたら・・・。

それは自分で防ぐことはできないのです。誰かの過失を100%なくすことができれば問題はないのですが、それができていないのが現在の状況だと思います。

ルール+可能性チェックのススメ

赤信号で信号待ち、歩道帯を歩いていたにもかかわらず、運転の過失で突っ込んでくる車。手洗い、うがいをしたあとに雑菌だらけのタオルで手拭きをしたり、雑菌だらけのテーブルでの食事をしたり・・・。

現代の日本では、ルールを守りつつも自分自身を守るための教育を行う必要があるのではないでしょうか。

過敏と注意深さの違い

生きていくうえであらゆることに過敏になりすぎることは、ストレスの増長につながります。健康的で豊かな生き方とはいえないと思います。「注意深さをもってのびのびと」という矛盾した感覚ではあるのですが、ルールのみの教育に注意深さを加えた教育が必要だと実感しています。

過失は故意ではない

故意の行動に対してはなかなか避けることはできないかもしれません。故意は目標を定めて動いてきますから、こちらが気を付けていてもどうしようもない部分があります。ただ、故意に目標にされることはあまりないでしょう。ただし、過失はだれにでも起こりえます。

ちょっとした過失、その大小によって受ける側の被害の大きさが決まります。

いつどこで起こるかわからない過失をどう避けるのか。

ルール重視の教育からの転換

ルールは大切です。そのルールとともに何が起こりうるのかという可能性の教育が今後は大切だと感じます。雨降り、車やバイクは停止時に滑りやすい状況になります。滑りたくて滑る人なんてほとんどいないでしょう。滑ってきたとしてもぶつかりにくい場所を考える。

ちょっと考えるだけでも最悪の可能性を減らすことができるはず。

病原体への対処

うがいや手洗いだけではなく、その後に使うであろうタオルやハンカチ、使用するテーブルなどの影響を考えられる教育が必要なのではないでしょうか。保育園児や幼稚園児にはそこまで判断できないと思います。その際はどうすべきか。

失われた命、かわいそうだと思うだけでなく、そこから何をどうすべきかを一人一人が考え、実践していかなければなりません。

失われた命、何を訴えているのでしょうか。

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